岡田代表監督、俊輔斬りも…ベースは鉄壁守備

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岡田ジャパン

 日本サッカー協会は7日、イビチャ・オシム監督(66)の後任として、岡田武史新監督(51)を正式発表。緊急登板の岡田監督は就任会見を行い、「不安があったら、こんな大変な仕事は引き受けない」と、自信を込めた。しかし10年ぶりの代表監督登板は、1年半の浪人生活明け。選手やスタッフはオシム体制丸抱えのスタート。存在感をみせつけるには、何らかの荒業が必要となる。思いだすのは、あの「カズ斬り」だ。新たな標的が中村俊輔(セルティック)になる可能性もある。

 異例ともいえるテレビ全局が生中継体制を敷いてスタートした就任会見で岡田監督は「家族は代表監督のオファーを受けると思っていなかったみたい。もう、知らないといわれています」と笑わせた。そこにはかつて、「岡ちゃん」と呼ばれた初々しいイメージはなく、風格さえ感じられた。

 会見では、オシム流の継承を宣言したが、一方で「オシムさんのサッカーはオシムさんしかできない」とも話した。現代表以外の招集については「選手編成の大枠はできています。新しく入る選手は、1人もしくは2人しかいない」と話した。これは、1人もしくは2人は現代表から去る-と言っているに等しい。

 さらに海外組については、「どこにいようが、日本代表の戦力にならない限り使わない」と言い切った。

 この言葉は、故障中の中村に向けてのメッセージとも聞こえた。

 岡田監督と中村の因縁は深い。フランスW杯に向けた1998年1月、岡田監督は豪州合宿に中村を代表に初招集した。ところが中村は故障のためチャンスを生かせず、以後、岡田代表に呼ばれることはなかった。

 また、岡田監督が横浜Mの監督時代、中村はJリーグを見限ってイタリアへ移籍。岡田監督はポスト俊輔として、札幌時代のまな弟子だった山瀬を強引に獲得。山瀬の実弟も横浜に入団させてチームの中心に据えた。

 岡田カラーの代表に不可欠といわれるのがその山瀬で、ポジションの重なる中村がリストラ対象となっても不思議はない。

 岡田監督が指揮官として名をあげたのは、育成よりも、中心選手を思い切り良く外したことだった。加茂周監督解任の後を継いだ97年W杯最終予選での初采配(さいはい)では、中田英寿を先発から外した。本大会直前には、カズこと三浦知良(現横浜FC)、北沢豪を代表から外し、帰国させた。岡田監督は「あれから10年がたち、人間も少し丸くなりました」と苦笑したが、いざとなったら非情な決断もできる人だ。

 中村だけではない。「守備重視」となる岡田ジャパンで、これまでDFの要として使われてきた闘莉王(浦和)が構想外となる可能性もある。強引ともいえる攻撃スタイルの闘莉王が岡田スタイルに合致しているとはいいがたい。これも札幌時代の秘蔵っ子・今野(F東京)らの重用が予想され、安閑とはしていられないだろう。

 札幌の監督としてクラブをJ2からJ1に引き上げ、03、04年には横浜MでJリーグ連覇を果たすなど実績を積み上げてきた岡田監督だが、決して高評価ばかりではない。横浜Mを去る際にはフロント陣から、「若手を誰ひとりとして育ててくれなかった」との声が漏れたこともある。

 岡田監督は34歳で現役を引退。その後、4年間はJ1千葉の2軍監督だった。95年に加茂監督からオファーを受けて日本代表ヘッドコーチに就任したが、この時も加茂監督が最初に声をかけたのは当時の強化委員長、加藤久氏(現J2京都監督)だった。

 2番手の男から最終予選の最中に加茂監督の後を受けて代表監督に就任し、「ジョホールバルの奇跡」で日本のW杯初出場を決めたが、本大会では結局、3戦全敗。その戦術には一貫して「守備的」「面白くない」との批判の声もあった。

 岡田監督のサッカー観のベースには、カテナチオ(錠前)と呼ばれる鉄壁な守備から入るイタリア・スタイルがある。元イタリア代表監督のリッピ氏や、クラブW杯で来日中のミランを常勝軍団に導いたアンチェロッテイ監督とも親交があり、Jリーグ監督時代もオフにはイタリアに渡り、レクチャーを受けていた。

 同じイタリアに渡り、当たりの強いセリエAで結果を出すことができなかったのが、昨年のスコットランドリーグMVPの中村だ。そんな符丁も気になる岡田JAPANの今後なのだ。

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